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モンベル創業者が7坪の小部屋で描いた夢が日本最大のアウトドアブランドになるまでの物語

モンベルのブランドヒストリーと哲学

mont-bell/モンベル

【創業国】日本
【創業年】1975年
【創設者】辰野勇

 

今や日本最大のアウトドアブランドとして知られるモンベル(mont-bell)の始まりは、大阪の雑居ビルのわずか7坪の小部屋でした。

1975年、28歳の辰野勇氏が資本金ゼロで立ち上げたこの小さな会社が、なぜ世界のアウトドア業界に「Light & Fast」革命をもたらすことができたのでしょうか?

 

病弱だった少年時代から世界的なクライマーとなり、そして革新的な企業家へと成長した辰野氏の人生は、まさに不屈の冒険精神そのものです。

買い物袋製造で生き延びた創業期の苦労、下請けからの脱却を決意した転換点、そして日本の気候に特化した独自技術の開発まで、モンベルが歩んできた50年の軌跡には、ものづくりへの情熱と山への純粋な愛が込められています。

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  1. 校医に金剛山登山を止められた病弱少年がモンベルを生んだ運命
    1. 「友達は楽しそうに行くのに」口惜しさが山への憧れを生んだ
    2. 高校生が『白い蜘蛛』と出会った瞬間、人生が変わった
    3. 21歳でアイガー北壁日本人2番目の快挙を成し遂げた辰野勇
  2. 7坪の雑居ビルから始まったモンベルの奇跡的な船出
    1. 資本金ゼロでも諦めなかった28歳の登山家の覚悟
    2. 生き残りをかけて買い物袋を作り続けた創業3人の絆
    3. 下請けの屈辱が自社ブランド確立への転換点になった瞬間
  3. なぜモンベルは世界のアウトドア業界に革命を起こせたのか?
    1. 小柄な日本人だからこそ気づいた「Light & Fast」の真実
    2. 日本の高湿度環境が生み出した世界トップクラスの透湿技術
    3. 「自分たちが欲しいものを作る」哲学が生んだ名作ギアたち
  4. 72歳でマッターホルンに再挑戦する創業者の止まらない冒険心
    1. 「機能美」を追求し続ける辰野勇の美学とは?
    2. パタゴニアとの決別を決断した経営者としての覚悟
    3. アウトドア義援隊で見せたモンベルの社会への想い
  5. 世界45ヶ国に愛されるモンベルが描く次の50年への挑戦
    1. ヨーロッパ最大の登山用品店が認めた日本ブランドの実力
    2. 116万人のモンベルクラブが支える強固なコミュニティ
    3. 自然と共生する社会の実現に向けたモンベルの使命
  6. 【まとめ】モンベル(mont-bell)が歩んできた歴史

校医に金剛山登山を止められた病弱少年がモンベルを生んだ運命

今や日本最大のアウトドアブランドとなったモンベルの創業者・辰野勇氏の原点は、意外にも病弱だった少年時代にあります。体が弱いという理由で山への憧れを阻まれた悔しさが、後に世界的な登山家になり、日本のアウトドア界に革命をもたらすほどの情熱を育んでいったのです。

 

「友達は楽しそうに行くのに」口惜しさが山への憧れを生んだ

1947年大阪府堺市で8人兄弟の末っ子として生まれた辰野勇氏は、幼少期から虚弱体質に悩まされていました。小学生の頃、クラスメイトたちが楽しそうに金剛山の遠足に出かける中、辰野少年だけは校医から参加を止められてしまいます。

「友達は楽しそうに行くのに、すごく口惜しくて。山への思いはそのころから募るようになりました」

と後に振り返るように、この時の満たされなかった思いが山への憧れの原点となりました。

体が弱いからこそ、健康な友達が当たり前に楽しんでいる体験への渇望が人一倍強くなったのでしょう。この経験は単なる悔しさにとどまらず、いつか必ず山に登りたいという強固な意志を少年の心に植え付けたのです。

 

高校生が『白い蜘蛛』と出会った瞬間、人生が変わった

辰野氏の人生を決定づけたのは、高校1年生の時に国語の教科書で出会ったハインリッヒ・ハラーの『白い蜘蛛』でした。この本は、ヨーロッパアルプス最難関の一つとされるアイガー北壁の困難な登攀を描いた記録文学です。辰野氏はこの一節を読んだ瞬間、強烈な衝撃を受けました。

極限状況下での人間の挑戦、問題解決、そして忍耐を描いた物語は、病弱だった少年に「いつか、この山に登ってみたい」という具体的な目標を与えたのです。さらに驚くべきことに、この時から登山に関わるビジネスを興すという夢も抱いていたといいます。

  • アイガー北壁への憧れが生まれた瞬間
  • 登山事業への夢も同時に芽生えた
  • 困難に立ち向かう精神力の源泉となった

 

21歳でアイガー北壁日本人2番目の快挙を成し遂げた辰野勇

高校時代に抱いた夢は、わずか数年後に現実のものとなります。1969年7月、弱冠21歳の辰野氏はパートナーの中谷三治氏とともに、アイガー北壁の登攀に成功しました。当時の世界最年少記録であり、日本人としては2人目の快挙でした。21時間という当時としては高速な記録での登攀成功は、国内外の登山界に辰野氏の名を轟かせることになります。

この遠征では船でウラジオストクまで行き、シベリア鉄道でスイスまで向かうという冒険的な旅路も話題になりました。グリンデルワルトで40日間の天候待ちをした間に、既存の登山装備の重量と機能不足を痛感し、「軽量で実用的な道具」への構想を固めたのです。

宿泊先のホテル・バーンホフの女将から「成功とは頂上に立つことではない。生きて帰ることだ」とかけられた言葉は、生涯にわたって辰野氏の安全重視の哲学となりました。

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7坪の雑居ビルから始まったモンベルの奇跡的な船出

1975年8月1日、大阪市西区立売堀の雑居ビルのわずか7坪の部屋で、28歳の辰野勇氏と登山仲間たちがモンベル株式会社を設立しました。資本金ゼロという厳しいスタートでしたが、彼らの情熱と創意工夫により、今日の日本最大のアウトドアブランドへと成長する礎が築かれていったのです。

 

資本金ゼロでも諦めなかった28歳の登山家の覚悟

辰野勇氏が28歳の誕生日にモンベルを創業した時、手元にはまとまった資金がありませんでした。それでも彼が会社設立に踏み切ったのは、登山用品店や繊維商社での勤務経験を通じて感じた強い問題意識があったからです。

当時の登山用品は輸入品が多く、高価である上に高温多湿な日本の気候や日本人の体型に必ずしも適合していませんでした。「当時の登山用品は、重く、かさばり、濡れると乾きにくい粗末なものばかり」だったと辰野氏は振り返ります。

商社時代に防弾チョッキに使われるケブラーや燃えない繊維ノーメックスといった高機能繊維に触れ、「これを使えばもっと快適な登山用具が作れるのではないか」というひらめきを得たのです。資金はなくても、アイデアと情熱、そして実現への強い意志が彼を突き動かしていました。

 

生き残りをかけて買い物袋を作り続けた創業3人の絆

創業メンバーは辰野氏の他に、クライミングスクールの第一期生だった真崎文明氏と増尾幸子氏の3人でした。資本金ゼロで始まった会社にとって、初期の資金調達は喫緊の課題となります。

本格的な登山用品開発への道筋をつけるため、最初に手掛けたのは意外にも大手スーパーマーケットからの依頼によるショッピングバッグの製造でした。この仕事は辰野氏の商社時代の人脈から紹介されたものです。3人の創業者は昼夜を問わず働き、徹夜も珍しくありませんでした。

  • 市場調査から素材調達まですべてを手作業で行った
  • 厳しい納期管理と品質要求に応えることで信用を築いた
  • 初年度の売上1億円超えの主要要因となった

このショッピングバッグ事業で得た資金をもとに、創業から1年後、ついに念願のオリジナル登山用品第一号として新素材ダクロンホロフィルを使用した寝袋を開発したのです。

 

下請けの屈辱が自社ブランド確立への転換点になった瞬間

創業5年目頃、モンベルは大手スポーツ用品メーカーの下請け開発業務を行っていました。パタゴニア製品の日本での販売も手掛け、総売上の4分の1を占めるほどの重要な収益源となっていました。

しかし、多大な時間をかけてアイデアを練り、プロトタイプを作成しても受注は少額に留まることが多く、成功した製品の再注文を問い合わせると「開発はご苦労様でした。しかし、コスト削減のため、今回は別のメーカーに生産を依頼します」と告げられることもありました。

使い捨ての下請け業者として扱われたこの屈辱的な経験が、自社ブランド確立への転換点となったのです。辰野氏はソニー創業者・盛田昭夫氏の「すべてのブランドには第一日目がある。今日がソニーの第一日目だ」という言葉に深く感銘を受け、短期的な利益よりもモンベルというブランドの独自性と長期的な成長を優先する決断を下しました。

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なぜモンベルは世界のアウトドア業界に革命を起こせたのか?

モンベルが世界のアウトドア業界で確固たる地位を築いた背景には、日本独特の環境や体格的制約を逆手に取った革新的な発想がありました。従来の重厚な西洋式登山装備の常識を覆し、軽量・高機能・高品質な製品で世界市場に挑戦し続けるその姿勢は、まさに技術革命そのものだったのです。

 

小柄な日本人だからこそ気づいた「Light & Fast」の真実

モンベルの代名詞である「Light & Fast(軽量と迅速)」哲学は、辰野氏の身体的・環境的制約から生まれた革新でした。「私は西洋人のような体格に恵まれず、雨が多く湿度の高い日本に住んでいた」と辰野氏が語るように、小柄な日本人の体格と日本の高湿度気候という二つの制約が、従来の重厚な西洋式登山装備への根本的な疑問を生んだのです。

アイガー登攀での40日間の天候待ちの経験から、濡れた時の重い装備の無力さを実感し、軽量で速乾性があり、コンパクトな装備への需要を確信しました。この制約こそが革新の源泉となり、アウトドア業界全体の製品開発基準を変革することになります。

  • 西洋人とは異なる日本人の体格に最適化された設計
  • 従来の重厚な装備の常識を覆す軽量設計の普及
  • 機能性を犠牲にしない究極の軽量化技術

 

日本の高湿度環境が生み出した世界トップクラスの透湿技術

日本特有の高温多湿な気候が、モンベルの技術開発に大きな影響を与えました。四季の変化に富み、特に夏場は高温多湿で雨も多い日本のアウトドアフィールドでは、透湿性や速乾性、防水性といった機能が極めて重要になります。

モンベルはこの環境に特化した製品開発を追求し、スーパードライテック技術では驚異的な「50,000g/m2/24hr」の透湿性を実現しました。これは主流のGore-Tex、Pertex、eVentファブリックの2-3倍の性能を達成する画期的な技術です。

また、独自開発したウイックロンは、コットンのような自然な風合いと優しい肌触りを持ちながら、化学繊維ならではの速乾性と通気性、90%以上のUVカット効果、光触媒効果による消臭機能を兼ね備えています。このような技術は日本の気候への深い理解から生まれた、まさに現地最適化の成果なのです。

 

「自分たちが欲しいものを作る」哲学が生んだ名作ギアたち

モンベルのものづくりを貫く最も基本的な哲学は、「自分たちが欲しいものを作る」という考え方です。市場のトレンドや短期的な販売予測に左右されるのではなく、創業者をはじめとするスタッフ自身が真に必要とし、心から使いたいと思える製品を開発するという姿勢が数々の名作ギアを生み出してきました。

ストームクルーザーは、日本の山岳環境における経験から薄手30デニールのGORE-TEX素材の使用を提案し、軽量性と防水透湿性、耐久性の高次元なバランスを実現した代表作です。ステラリッジテントは、軽量性・設営容易性・耐風性を追求し、独自の吊り下げ式構造によって世界トップクラスの性能を達成しました。

  • 南極遠征用の特注防寒着を20着だけ製造
  • 12人がゆったりと寝られる巨大なテントの開発
  • ニッチなニーズにも応える真摯な製品づくり

たとえ市場規模が小さくても、本当に必要としている人のために妥協のない製品を作り続ける姿勢が、ユーザーからの深い信頼を獲得しているのです。

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72歳でマッターホルンに再挑戦する創業者の止まらない冒険心

2019年、72歳になった辰野勇氏がマッターホルンに再挑戦し、初登攀から50周年を記念する登山を成功させたニュースは、多くの人々に感動を与えました。年齢を重ねても衰えることのない冒険精神と、確固たる経営哲学を貫き続ける姿勢は、モンベルというブランドの根幹を支え続けています。

 

「機能美」を追求し続ける辰野勇の美学とは?

辰野氏の根本哲学は「Function is Beauty(機能美)」、つまり完璧な機能から美が生まれるという考え方です。登山における「機能こそ美、すべての線に意味がある、シンプルにすれば美しくなる」という原則を、そのまま事業経営にも適用しています。この美学は単なるデザイン論ではなく、製品の本質的な価値を追求する姿勢そのものなのです。

茶道と尺八を嗜み、奈良の伝統的な家屋にアメリカのレッドウッドをリサイクルした茶室を構える辰野氏の生活は、伝統的な日本文化と革新的な精神の融合を体現しています。

意外にも辰野氏は自分を「臆病者」と表現し、「クライマーは臆病だ。常に将来を心配し、常にリスクを心配している」と語ります。この慎重さが綿密な計画と革新的な問題解決を生み出す源泉となり、流行に左右されない本質的な価値追求につながっているのです。

 

パタゴニアとの決別を決断した経営者としての覚悟

モンベルの成長過程で最も困難な決断の一つが、パタゴニア社との提携解消でした。当時、パタゴニア製品の日本での販売はモンベルにとって大きな収益源となっており、総売上の4分の1を占めるほどの重要な事業でした。

しかし辰野氏は「パタゴニア商品が売れるほどモンベルの存在意義は薄くなる」と考え、大きな売上減を覚悟の上で提携解消を決断したのです。この決断は短期的な利益よりも、モンベルというブランドの独自性と長期的な成長を優先するという強い意志の表れでした。

  • 総売上の25%にあたる大きな収益源を手放す勇気
  • 自社ブランドの確立を最優先に考えた戦略的判断
  • 独立したブランドとしての成長への転換点

自社ブランドの確立という大局的な視点から下されたこの困難な決断は、モンベルが確固たるアイデンティティを持つ独立したブランドとして成長するための重要な転換点となりました。

 

アウトドア義援隊で見せたモンベルの社会への想い

モンベルは単に優れたアウトドア用品を製造・販売するだけでなく、企業活動を通じて社会に貢献することを重要な使命と捉えています。特に大規模災害発生時における迅速な支援活動では、「アウトドア義援隊」を組織し、被災地で救援・復旧活動を行ってきました。

1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災の際には、モンベルが持つアウトドアに関する専門知識や製品が被災環境下で直接的に役立つことを実証しました。アウトドア用品は元来厳しい自然条件下での使用を想定して設計されているため、ライフラインが寸断された被災地においては人々の安全と生活を守る上で不可欠な物資となります。

また、身体に障害を持つ人々がカヌーなどのアウトドア活動を楽しめるよう支援する社会福祉活動や、子どもたちが自然体験を通じて環境の大切さを学ぶ機会を提供する野外教育プログラムなど、自然との共生というモンベルの理念を社会に広めるための多角的な取り組みを続けています。

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世界45ヶ国に愛されるモンベルが描く次の50年への挑戦

創業から約50年を迎えたモンベルは、今や北米・ヨーロッパ・アジア太平洋地域に展開する国際企業として成長を遂げています。120店舗以上、1,250名以上の従業員を擁し、世界各国で事業を展開する中で、次の50年に向けた新たな挑戦と使命を掲げています。

 

ヨーロッパ最大の登山用品店が認めた日本ブランドの実力

モンベルの国際的な成功を象徴するエピソードの一つが、創業3年目に辰野氏が単身ヨーロッパへ渡り、現地の登山用品店に飛び込みセールスを行った話です。

最初に訪問したのは、ヨーロッパ最大の老舗登山用品専門店の一つであるドイツの「スポーツ・シュースター」でした。アポイントなしの訪問でしたが、辰野氏がかつてアイガー北壁を登攀した世界的クライマーであることを伝えると、店の担当者はすぐに心を開き、商談に応じてくれたといいます。

帰国から約4ヶ月後、スポーツ・シュースターから寝袋や防寒衣料などの注文書が届き、モンベル製品が歴史あるヨーロッパの店舗に並ぶという快挙を成し遂げました。

現在では北米市場にコロラド州ボルダーやポートランドのフラッグシップストア、ヨーロッパ市場にはスイスのグリンデルワルト店舗を構え、アジア太平洋地域でも韓国、中国、台湾、シンガポールで積極的な展開を行っています。

 

116万人のモンベルクラブが支える強固なコミュニティ

1985年に始まった有料会員制度「モンベルクラブ」は、2024年12月時点で116万人を超える会員数を誇る巨大なコミュニティへと成長しました。モンベルクラブは単なる顧客の囲い込みではなく、ポイント加算や提携施設での優待といった特典を通じて、ブランドと顧客との間に長期的な信頼関係を構築し、モンベルのファンを育成する役割を担っています。

全国140店舗以上の直営店ネットワークと組み合わせることで、製品の販売だけでなく専門知識を持つスタッフによるアドバイスや一貫したブランド体験の提供を実現しています。

  • 中間マージンを削減した適正価格での製品提供
  • 顧客の声を製品開発に直接フィードバックできる体制
  • 高額な広告宣伝費に頼らないブランド価値の伝達

かつて都市部と地方の小売店で製品価格に大きな差があったことに対し、「本当に必要としてくれる人に届けたい」という思いから全国一律価格を実現したのも、この直販体制があってこそなのです。

 

自然と共生する社会の実現に向けたモンベルの使命

モンベルは辰野氏が提唱する「7つのミッション」の下、全国120以上の地方自治体や大学、企業などと包括連携協定を結び、アウトドア活動を通じた地域活性化に力を入れています。「アウトドアはレジャーを超え、すでに日本人の生き方のひとつ」と辰野氏が語るように、同社は人々のライフスタイルそのものに関わり、豊かにしていくことを目指しています。

環境保護活動では四国のツキノワグマ保護活動への協力を行い、野外教育では子どもたちが自然体験を通じて環境の大切さを学ぶ機会を提供するプログラムを展開しています。「SEA TO SUMMIT」という環境スポーツイベントや「ジャパンエコトラック」での地域の自然や文化を楽しむ旅の提案など、自然との共生というモンベルの理念を社会に広めるための多角的な取り組みを続けています。

このような活動は、同社が単なる製品メーカーではなく、アウトドア文化の醸成者であり、自然と共生する社会の実現に向けた推進力であることを示しているのです。

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【まとめ】モンベル(mont-bell)が歩んできた歴史

病弱だった少年が金剛山登山を諦めざるを得なかった悔しさから始まったモンベルの物語は、21歳でのアイガー北壁登攀という世界的な快挙を経て、1975年の7坪の小部屋での創業へとつながりました。

資本金ゼロから買い物袋製造で生き延び、下請けの屈辱を乗り越えて自社ブランドを確立した創業期の困難は、「Light & Fast(軽量と迅速)」哲学と「Function is beauty(機能美)」の追求という独自の価値観を育みました。

日本の高湿度環境に特化した技術開発と「自分たちが欲しいものを作る」姿勢が世界のアウトドア業界に革命をもたらし、今や116万人のモンベルクラブを擁する国際企業へと成長しています。

創業から約50年を迎えた現在も、72歳でマッターホルンに再挑戦する辰野勇氏の冒険心は衰えることなく、自然と共生する社会の実現という新たな使命に向かって歩み続けています。