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山と道の創業物語|夫婦の情熱が鎌倉のアパートから日本のUL文化を変えた

山と道のブランドヒストリーと哲学

山と道

【創業国】日本
【創業年】2011年
【創設者】夏目彰・由美子夫妻

 

日本のULハイキング文化を語る上で、今や欠かせない存在となった「山と道」。オンラインストアで製品が発売されれば瞬く間に完売し、全国のハイカーがその入荷を心待ちにするブランドです。

しかし、その始まりは2011年、鎌倉の小さなアパートの一室でした。アートブックのプロデューサーだった夏目彰氏と、舞台衣装のプロフェッショナルだった妻の由美子氏。山とは無縁だった二人が、なぜ日本を代表するULブランドを生み出すことになったのでしょうか。

この記事では、山と道の創業エピソードからブランド名に込められた哲学、代表製品の開発秘話、そして独自の経営哲学まで、その歩みを詳しくご紹介します。

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  1. 東京のアートシーンから山へ転身した夏目夫妻が山と道を生み出すまで
    1. もっと山にいたいという純粋な願いが人生の舵を切らせた
    2. 舞台衣装のプロだった妻の技術力がすべての始まりだった
    3. ジョン・ミューア・トレイル340kmで気づいた日本の山に必要なもの
  2. 「山と道」というブランド名に込められた深い想いとは?
    1. あえて「山道」ではなく「山と道」にした理由
    2. ソローの『森の生活』に影響を受けたミニマリズムの哲学
    3. 山に影響を受けて生きる道を進むという覚悟の表明
  3. 山と道の代名詞MINIはどうやって生まれたのか?
    1. 完成まで2年かかった妥協なき試作の日々
    2. 肩甲骨で背負うという日本の山に最適化された設計思想
    3. 世界初のバックパック専用生地をパーテックスと共同開発した挑戦
  4. 痒いところに手が届く5ポケットパンツの開発秘話
    1. あの絶妙なスマホポケットの位置には理由がある
    2. ストレッチ素材を使わずに動きやすさを実現した職人技
    3. 一度履いたら他のパンツには戻れないと言われる所以
  5. 売上目標を設けない経営で山と道が大切にしていること
    1. 数字は本当に大事なものを見えづらくしてしまうという考え方
    2. 最高の購買環境をつくれば自然とビジネスは循環する
    3. 捨てない物作りプロジェクトに込めた次世代への責任
  6. 【まとめ】山と道が歩んできた歴史

東京のアートシーンから山へ転身した夏目夫妻が山と道を生み出すまで

2011年、鎌倉の小さなアパートの一室から「山と道」は産声を上げました。創業者の夏目彰氏と由美子氏は、もともと登山業界とは無縁の世界で活躍していた夫婦です。

アートブックのプロデューサーと舞台衣装のプロフェッショナル。そんな二人がなぜ、日本のULハイキング文化を牽引するブランドを立ち上げることになったのでしょうか。その背景には、山への純粋な情熱と、理想のライフスタイルを追い求める強い意志がありました。

 

もっと山にいたいという純粋な願いが人生の舵を切らせた

夏目彰氏は1973年岐阜県生まれ。30代半ばまでアートブック「GASBOOK」のプロデューサーとして、東京のクリエイティブシーンの最前線で15年間活動していました。しかし、常に動き続けなければならないプレッシャーの中で、次第に行き詰まりを感じるようになります。

転機となったのは2006年のこと。沖縄・西表島でのキャンプ体験をきっかけに訪れた尾瀬で、彼の人生は大きく動き出します。日本にこんな美しい場所があったのかと感動し、それ以来、毎週のように山へ通う日々が始まりました。

山にのめり込むほど、会社員という立場では長期の休みが取りづらいことに葛藤を覚えるようになります。「山に行くことを仕事にすれば、いつでも山にいられる」。このシンプルな発想が、やがて山と道の創業へとつながっていくのです。

 

舞台衣装のプロだった妻の技術力がすべての始まりだった

夏目彰氏のビジョンを形にする上で欠かせない存在が、妻の由美子氏でした。彼女は文化服装学院を卒業後、テレビや舞台、アイドルの衣装製作など、フリーランスとして10年以上にわたりプロの現場で腕を磨いてきた縫製のスペシャリストです。

興味深いのは、由美子氏が衣装製作の豊富な経験を持つ一方で、バックパック作りに関してはまったくの素人だったという点。しかし、夫の情熱に応え、自らの専門技術を未知の領域である山道具製作に応用する決断をします。

創業当初は鎌倉の自宅マンションを工房兼事務所として、すべての業務を二人だけでこなしていました。由美子氏の確かな縫製技術がなければ、山と道の製品が世に出ることはなかったでしょう。まさに夫婦二人三脚でのスタートだったのです。

参考:本当に必要なものをつくり、最高の仲間たちと楽しむ。鎌倉の山道具メーカー「山と道」が歩み始めた、「ハイクのあるライフをつなぐコミュニティ」への道程

 

ジョン・ミューア・トレイル340kmで気づいた日本の山に必要なもの

山と道を立ち上げる前、夫妻はアメリカ・カリフォルニア州のジョン・ミューア・トレイルに挑戦します。約340kmの長大なトレイルを約2週間かけて歩いたこの旅が、山と道の方向性を決定づけました。

旅には由美子氏がアメリカのガレージメーカーのキットを元に自作したバックパックを持参。実際に使えるという手応えを得たことで、自分たちでも道具を作れるという確信が芽生えます。

しかし、それ以上に重要な気づきがありました。なだらかで砂地の多いアメリカのトレイルと、急峻で岩場が多い日本の山では、求められる道具が根本的に異なるということ。アメリカで生まれたULギアは、日本の山岳環境には必ずしも最適ではなかったのです。

この経験から「日本の山という風土に合った道具を作る」という明確な使命が生まれ、2011年の創業へとつながっていきました。

参考:山と道の原点を探る創業1年目の夏目彰・由美子ロングインタビュー

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「山と道」というブランド名に込められた深い想いとは?

アウトドアブランドとしては珍しい日本語表記の「山と道」。一般的な「山道」ではなく、あえて「山と道」と表現しているところに、創業者の深い想いが込められています。この独特なブランド名には、単なる登山用品メーカーにとどまらない、夏目夫妻の人生観や哲学が反映されているのです。

 

あえて「山道」ではなく「山と道」にした理由

「山道」と「山と道」。たった一文字の違いですが、そこには大きな意味の違いがあります。「山道」という言葉は、山の中にある物理的な道を指す一般名詞にすぎません。一方で「山と道」という表現には、複数の意味が重層的に込められています。

この名前が表しているのは、まずハイカーが歩む物理的な「山」と「道」という存在。そして創業者である夏目夫妻がアートの世界から転身し、山と共に生きる人生を選んだ彼ら自身の「道」。さらにブランドがこれから切り拓いていく未来への「道」という意味も含まれています。

つまり「山と道」という名前は、フィールドとしての山、人生の歩み、そしてブランドの軌跡という三つの要素が結びついた、力強いメッセージなのです。

 

ソローの『森の生活』に影響を受けたミニマリズムの哲学

山と道の哲学を語る上で欠かせないのが、ヘンリー・D・ソローの著書『森の生活(ウォールデン)』の存在です。夏目彰氏はこの本を肌身離さず持ち歩くほど愛読していたといいます。

『森の生活』は、ソローが森の中の小屋で2年間にわたり自給自足の生活を送った記録であり、ミニマリズムの原点とも呼べる作品。本当に必要なものだけを厳選することで得られる精神的な自由と豊かさを説いています。

この思想は、山と道が提唱するULハイキングの考え方と深く共鳴しています。装備を軽くシンプルにすることで身体的な負担から解放され、風の音や木々の香りなど自然の繊細な表情に意識を向けられるようになる。ULハイキングは単なる軽量化ではなく、自然と一体になるための手段なのです。

 

山に影響を受けて生きる道を進むという覚悟の表明

「山と道」というブランド名には、創業者夫妻の覚悟も込められています。それは「山に影響を受けて生きる道を進む」という、つくり手としての姿勢の表明です。

夏目氏は自らを「器用な人間ではない」と評しながらも、「熱中しているものじゃないとうまくできない」と語っています。だからこそ、心から愛する山への情熱を仕事に転換するという決断をしました。

この選択は、単にビジネスチャンスを求めたものではありません。夫婦で鎌倉に移住し、生活そのものをつくり直したいという想いから生まれた、人生を賭けた挑戦でした。「山と道」という名前は、山を愛し、山と共に歩む人生を選んだ二人の決意そのものを表しているのです。

参考:登山界隈の大人気ブランド「山と道」 夏目彰社長に聞く“ウルトラライト”な経営

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山と道の代名詞MINIはどうやって生まれたのか?

「ジャパニーズULバックパックのアイコン」と称される山と道のMINI。2012年に発売されて以来、多くのハイカーに愛され続けているこのバックパックは、容量25~32L、重量約400gという驚異的な軽量性を実現しています。しかし、その誕生までには妥協を許さない試作の日々と素材開発にまで踏み込んだ革新的な挑戦がありました。

 

完成まで2年かかった妥協なき試作の日々

山と道のものづくりは、徹底したフィールドテスト主義に支えられています。創業当初から「つくっては山に行って実際に使ってみて、またつくり直す」という試作のサイクルを何度も何度も繰り返してきました。

最初のバックパックが完成するまでに要した期間は実に2年間。納得できるまでつくり続けるという完璧主義的な姿勢は、創業期から変わらない山と道のDNAとなっています。この開発プロセスで重視されているのは、以下のような点です。

  • 実際の山行で使用して問題点を洗い出す
  • ユーザー目線で使い勝手を検証する
  • 少しでも違和感があれば設計からやり直す

机上の理論ではなく、山での実体験を積み重ねることで、本当に使える道具が生まれるのです。

 

肩甲骨で背負うという日本の山に最適化された設計思想

MINIの設計思想で最も特徴的なのが、独自の荷重バランスです。一般的なバックパックは荷重を肩と腰に分散させますが、山と道のバックパックは意図的に荷重を肩甲骨から胸骨にかけての高い位置に集中させています。

この設計には明確な理由があります。腰への荷重をなくすことで腰回りの自由度が高まり、アップダウンの激しい日本の山をより軽快に歩けるようになるのです。これはジョン・ミューア・トレイルでの気づきから生まれた、日本の山岳環境への直接的な回答でした。

約8kgまでの荷重であれば、上半身全体で心地よく受け止めることが可能。ショルダーパッドの硬さや厚さには徹底的な試行錯誤が重ねられ、肩への負担を最小限に抑える設計が実現されています。

 

世界初のバックパック専用生地をパーテックスと共同開発した挑戦

山と道の技術的な強みを象徴するのが、英国の高機能ファブリックブランド「パーテックス」との共同開発です。山と道からの依頼を受け、パーテックス社は世界で初めてバックパック専用生地の開発に挑みました。この共同開発で採用された仕様は、すべてが考え抜かれたものです。

  • 強度としなやかさを両立するナイロン6素材
  • 力を受け流すための「甘い織り構造」
  • 経年劣化(加水分解)に強いポリカーボネートコーティング

既存の素材に満足せず、理想を追求するためには素材開発から着手するという姿勢。これこそが、山と道を単なるガレージブランドから、業界の技術革新を牽引する存在へと押し上げた原動力なのです。

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痒いところに手が届く5ポケットパンツの開発秘話

山と道の名をハイカー以外にも広く知らしめたのが、5ポケットシリーズです。2013年にショーツが、2015年にはパンツが発売され、瞬く間に人気製品となりました。「もう他のパンツは履けない」と言わしめるほどの支持を集めるこの製品には、創業者自身のハイキング体験から生まれた細やかな工夫が詰まっています。

 

あの絶妙なスマホポケットの位置には理由がある

5ポケットパンツを伝説的な存在にしたのが、スマートフォン専用ポケットの配置です。一般的なパンツではスマホの収納場所に困ることが多いですが、山と道は腰骨の後ろという絶妙な位置にポケットを設けました。この配置には明確な理由があります。

  • 歩いても走っても揺れにくい安定したポジション
  • 座ったときにお尻で踏む心配がない
  • 取り出しやすく、しまいやすい位置

一見シンプルに思えるこのディテールが、実際の山行では驚くほどの快適さをもたらします。スマホで写真を撮る機会が増えた現代のハイカーにとって、この配慮は「痒いところに手が届く」設計そのものなのです。

 

ストレッチ素材を使わずに動きやすさを実現した職人技

5ポケットパンツの技術的な革新性は、ストレッチ素材を使わずに優れた動きやすさを実現している点にあります。開発当初はストレッチ素材も検討されましたが、速乾性の低下や防風性の弱さを理由に採用を見送りました。

では、どうやって運動性を確保したのでしょうか。その答えはパターン(型紙)の工夫にありました。股下から脚の内側にかけて伸びる独自のガゼット(マチ)と、「いせ縫い」という立体的な縫製技術を採用。これにより、非ストレッチ素材でありながら脚の動きを一切妨げない設計を実現しています。

安易な素材頼みではなく、縫製技術で課題を解決する。これこそが山と道の「機能美」の思想を体現した職人技といえるでしょう。

 

一度履いたら他のパンツには戻れないと言われる所以

5ポケットパンツには、用途に応じた複数のバリエーションが用意されています。

  • 高密度タスランナイロンを使用した耐久性重視の「オリジナル」
  • 裏面の凹凸構造で汗をかいても快適な「DW」
  • 圧倒的な軽さと涼しさを追求した「Light」

どのモデルを選んでも共通しているのは、ハイカーの実体験から生まれた細部へのこだわりです。修理依頼やユーザーフィードバックを製品開発に反映させる姿勢も、山と道ならでは。膝部分の設計を立体裁断からパターン設計に変更するなど、より多くの体型にフィットするよう進化を続けています。

こうした積み重ねが、「一度履いたら戻れない」という熱狂的な支持につながっているのです。

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売上目標を設けない経営で山と道が大切にしていること

山と道の経営哲学は、一般的な企業の常識とは大きく異なります。創業以来、彼らは売上計画や利益目標を設けていません。多くの企業が数字を追い求める中で、なぜ山と道はあえてその道を選ばないのでしょうか。そこには、ものづくりの本質を見失わないための強い信念があります。

 

数字は本当に大事なものを見えづらくしてしまうという考え方

夏目彰氏は「数字は本当に大事なものを見えづらくしてしまう」と語っています。売上や利益を最優先に追い求めることは、時に「麻薬」のように作用し、ブランドの本質から外れた判断を誘発しかねないという考えです。

数字を追うことで起こりがちな問題として、以下のような点が挙げられます。

  • 必要以上の製品を作ってしまう過剰生産
  • 本当に必要ではないものを売ってしまうこと
  • 短期的な利益のために品質を妥協してしまうこと

夏目氏は「金額よりもどんな人に何をどんなふうに売ったかの方が重要」だと考えています。だからこそ、売上計画や売上報告を意図的に中止するという、従来のビジネス手法とは一線を画した経営スタイルを貫いているのです。

 

最高の購買環境をつくれば自然とビジネスは循環する

売上目標を設けないからといって、ビジネスを軽視しているわけではありません。山と道が代わりに目指しているのは「最高の購買環境」をつくることです。

自分たちが心から良いと信じる製品を作り、その価値を誠実に伝え、ユーザーが納得して手に入れられる環境を整える。そうすれば、ビジネスは自ずと持続可能な形で循環していくという考え方です。

実際、山と道は創業以来、年々1.5倍ペースの売上成長を続けてきました。これは数字を追い求めた結果ではなく、良い仕事を積み重ねた結果として自然についてきたもの。利益を最終目的としないこの姿勢こそが、多くの消費者がブランドに感じる信頼性と本物感の源泉となっています。

 

捨てない物作りプロジェクトに込めた次世代への責任

山と道の持続可能性への意識は、2024年に始まった「捨てない物作り」プロジェクトに象徴されています。これは、生産過程でどうしても出てしまう残反(生地の切れ端)を廃棄せず、新たな製品へと生まれ変わらせる取り組みです。

残反から生まれる製品には、以下のようなものがあります。

  • ブランケット
  • マフラー
  • その他の小物類

この活動は、ULハイキングの「無駄をなくす」という思想を、生産の現場にまで拡張したものといえるでしょう。環境への配慮を事業の中核に据え、次世代に対する責任を果たそうとする姿勢。それは単なるエコ活動ではなく、山と道らしい誠実なものづくりの延長線上にあるのです。

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【まとめ】山と道が歩んできた歴史

2011年、鎌倉のアパートから始まった山と道の物語は、夫婦の純粋な山への愛情から生まれました。アートブックのプロデューサーだった夏目彰氏と、舞台衣装のプロだった由美子氏。二人の情熱と技術が出会い、日本の山に最適化されたULギアという新しい価値を創造してきました。

ジョン・ミューア・トレイルでの気づきから生まれた設計思想、2年の試作を経て完成したMINI、痒いところに手が届く5ポケットパンツ。どの製品にも「本当に必要なもの」を追求する哲学が貫かれています。

売上目標を設けず、最高の購買環境を目指す経営スタイル。捨てない物作りへの挑戦。山と道はこれからも、山を愛するすべての人と共に歩み続けていくことでしょう。