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ペツル(Petzl)創業者が17歳で洞窟に魅了された日から始まった革新の物語

ペツルのブランドヒストリーと哲学

Petzl/ペツル

【創業国】フランス
【創業年】1970年
【創設者】フェルナン・ペツル(Fernand Petzl)

 

世界中の登山家やクライマーが信頼を寄せるブランド「ペツル(Petzl)」。その原点は、1933年にフランスの田舎町で暮らしていた17歳の青年が、初めて洞窟の暗闇に足を踏み入れた瞬間にありました。

機械工として働いていたフェルナン・ペツルは、友人に誘われて訪れたトゥル・デュ・グラーズ洞窟で、人生を変える体験をします。地底に広がる未知の世界に魅了された彼は、その日から洞窟探検に人生を捧げることを決意。わずか75平方メートルの工房で、自らの手で道具を作り始めました。

利益のためではなく、純粋に「到達不可能な場所へアクセスしたい」という情熱から生まれた発明の数々は、やがて世界初のLEDヘッドランプ「ティカ」や革命的なビレイデバイス(確保器)「グリグリ」として結実し、垂直の世界に革命をもたらすことになります。

この記事では、一人の青年の探検への情熱が、いかにして世界的ブランドへと成長したのか、その90年にわたる革新の物語を紐解いていきます。

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ペツル創業者フェルナン・ペツルが17歳で体験した運命の洞窟探検

1933年、フランスのグルノーブル近郊で暮らしていた17歳の青年フェルナン・ペツルは、友人に誘われて訪れたトゥル・デュ・グラーズ洞窟で、人生を変える体験をしました。その瞬間から、彼の情熱は洞窟探検へと注がれ、やがて世界中の登山家やクライマーに愛されるブランド「ペツル」が誕生することになります。

 

移民の孫から生まれた革新者の原点とは?

フェルナン・ペツル(1913-2003)の物語は、現在のルーマニアからフランスに移住した祖父エミール・ペツルから始まります。エミールは外人部隊で5年間奉仕してフランス市民権を獲得しましたが、複数の事業に失敗し、最終的に電子企業で清掃員として働く苦労人でした。

その孫として生まれたフェルナンは、グルノーブル近郊のサン・イジエール村で機械工として働きながら、仕事終わりには金属加工に打ち込む日々を送っていたのです。

退屈な村の生活に物足りなさを感じていた彼にとって、洞窟探検との出会いは、まさに運命的なものだったといえるでしょう。洞窟がもたらすスリルと本来的な危険性に魅了された若きフェルナンは、誰も到達したことのない洞窟システムの最深部まで探検することに人生を捧げる決意を固めたのです。

 

75平方メートルの小さな工房で始まった壮大な夢

フェルナンが自分の夢を形にし始めたのは、わずか75平方メートルの小さな工房からでした。機械工としての専門知識を活かし、彼は自分用のロープラダーの製作を開始します。

興味深いのは、彼が利益のためではなく、自分自身と探検仲間たちが直面する具体的な障害を乗り越えるために道具を作り始めたことです。彼が工房で生み出した革新的な道具には、次のようなものがありました。

  • 1940年に開発したスケーリングポール
  • 1942年から始めた最初のナイロンロープのテスト
  • 洞窟探検用の特殊な金属製器具の数々

息子のポールは後に、父について「物を設計し、そして完成度を高めていく喜びに突き動かされていた」と語っています。この小さな工房こそが、後に世界的ブランドとなるペツルの原点となったのです。

参考:OUR ROOTS

 

友人との出会いがもたらした技術革新への道筋

1936年、フェルナンの人生に大きな転機が訪れます。化学エンジニアのピエール・シェヴァリエとの出会いです。この二人の協力により、ケイビング技術に革命的な進歩がもたらされました。

シェヴァリエが設計し、フェルナンが製作するという理想的なパートナーシップが生まれたのです。彼らの協力による成果は驚異的なものでした。

  • 1936年から1947年にかけてダン・ドゥ・クロール洞窟システムで17キロメートルの地下通路を初めて探検・地図化
  • 深度600メートルを超える世界記録を樹立
  • 1943年にシェヴァリエが設計した新素材ナイロンを使用した最初のロープの開発

そして1956年、フェルナン・ペツル指導の下でゴッフル・ベルジェ洞窟において深度マイナス1,122メートルの新世界記録を樹立し、人類初の「魔法のマイナス1,000メートルマーク」を突破したことで、フェルナン・ペツルの名は歴史に刻まれることになりました。

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家族の絆で築き上げたペツルというブランドの誕生秘話

1968年、フェルナン・ペツルがブルーノ・ドレスラーからロープ昇降用具の製作依頼を受けたことをきっかけに、個人的な道具作りが商業化への第一歩を踏み出しました。そして1970年、息子たちが父の事業に参加したことで、ペツルは真の意味で家族企業として歩み始めることになります。

 

父の情熱と息子の経営手腕が生み出した奇跡

フェルナンは情熱的な職人であり探検家でしたが、息子のポールは機械工学の知識を持ち、父の工房を本物の会社へと成長させるという明確なビジョンを持っていました。この実践的な天才と戦略的な洞察力の融合こそが、ペツルをフランスの片田舎の工房から世界的なブランドへと押し上げる原動力となったのです。

1970年に家族事業が本格的に開始された時のメンバーは次の通りでした。

  • 探検家であり職人である父フェルナン
  • 機械工学を学ぶ学生だった息子のポール
  • もう一人の息子ピエール
  • 会計を担当したポールの妻カトリーヌ
  • フェルナンの妻

 

なぜ「ペツル」という家族の名前をブランドにしたのか?

1970年に正式にブランドが誕生した際、その名前は創業者一族の姓そのものでした。最初は「Produits Fernand Petzl(フェルナン・ペツル製品)」として販売されていましたが、やがてシンプルに「ペツル」という名前に落ち着きます。

これは単なる商標以上の意味を持っていました。家族の名前をブランドにすることには、深い意味が込められています。

  • すべての製品に対する個人的な責任の表明
  • 品質への誇りと信頼性の象徴
  • 家族の歴史と伝統を背負う覚悟

これ以上ないほど実直で、信頼性を物語るブランド名といえるでしょう。1975年には最初の本社がフランスのクロールに設立されましたが、その場所はブランド創設のインスピレーションの源泉であるデント・ド・クロール山塊の麓という象徴的な立地でした。

 

3世代にわたって受け継がれる探検への純粋な想い

現在もペツルは株式を公開せず、独立した家族経営を維持しています。ポール・ペツルは会社を売却することは従業員に対する「裏切り」であるとまで語っており、この強い信念が企業文化の根幹を成しているのです。

短期的な株主の利益に左右されることなく、長期的で持続可能なビジョンを維持できるのも、家族経営だからこそ実現できることでしょう。現在は次世代への継承も進んでいます。

  • セバスチャンとオリヴィエという次世代が経営の準備を進めている
  • フェルナンが1933年に洞窟で感じた「未知への情熱」は3世代を経た現在でも企業の原動力
  • 「人間が自分自身を超越することを可能にする具体的なツールを想像する」という根本的な使命は不変

革新的な家族企業としての独自性を保ちながら、人類の探検への限りない挑戦を支え続けているペツルの姿勢は、これからも変わることはないでしょう。

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10年の歳月をかけて完成させたペツルの革命的製品「グリグリ」

1991年に発売されたGRIGRI(グリグリ)は、ペツルの技術革新を象徴する製品として、世界中のクライマーから愛され続けています。この革命的なビレイデバイス(確保器)の開発には、なんと10年という長い歳月が費やされました。その誕生の裏側には、安全性への妥協なき追求と、偶然が生んだドラマチックなエピソードが隠されています。

 

アフリカのお守りから名付けられた偶然のネーミング

興味深いことに、製品名「Grigri」は偶然から生まれました。1991年末の発売準備完了時の会議で、開発者の一人であるミシェル・スビエットが現れて

「So, have you gotten anywhere with your new grigri?(新しいgrigriの進捗はどうだい?)」

と尋ねたのです。

参考:Innovations in Climbing: The GRIGRI

 

彼が使った「grigri」という言葉は、実はアフリカのお守り「gris-gris」を指していました。このお守りには特別な意味が込められています。

  • 着用者を悪から守ると信じられている護符
  • 幸運をもたらすとされる伝統的なアイテム
  • 保護と安全を象徴する存在

ポール・ペツルはこの言葉を聞いた瞬間、新しいビレイデバイス(確保器)の名前として採用することを決めました。こうしてスポーツクライミングを永遠に変えた装置の名前が決まったのです。現在、GRIGRIは単なる製品名を超えて、ビレイデバイス(確保器)の代名詞として世界中で認知されています。

 

自動車のシートベルトから着想を得た安全への執念

1989年、開発チームはフィギュアエイト・ディッセンダーのリスクを軽減するビレイデバイスの開発に取り組み始めました。フェルナンとポール・ペツル、ピーター・ポパル、ミシェル・スビエット、そして25歳のエンジニアであるアラン・モーリスが会議を重ね、複数のアイデアを統合していきます。

開発チームが参考にした技術は以下の通りです。

  • フェルナンが10年前に発明した「Stop」装置の機能
  • ジャン・ルイ・ロクールの「Solo」装置の要素
  • 自動車のシートベルトのような信頼性の高い機構というスビエットのアイデア

プラスチック製ハンドルの採用は技術的な挑戦でしたが、より快適な操作を保証するために選択されました。ロープの正しい装着を確実にするため、装置に絵文字による説明を刻印し、装着後はピボット式プレートで覆う設計も採用したのです。

 

世界中のクライマーに愛される理由がここにある

グリグリは世界初のブレーキアシスト機能付きビレイデバイスとして、クライミング界に革命をもたらしました。特に初心者にエイト環のような器具でビレイを教えることは、インストラクターにとって大きなストレスを伴う作業でしたが、グリグリの登場によってその不安は大幅に軽減されたのです。

クライマーとビレイヤーの間に大きな体重差がある場合でも、安全に確保できるようになりました。グリグリが愛され続ける理由は次の通りです。

  • 安全性を向上させただけでなく、クライマーがより安心して限界に挑戦できる環境を創出
  • トップロープとリード用モードの切り替えダイヤル、パニック防止機能を追加したGRIGRI+(2017年)への進化
  • より滑らかで操作しやすい設計に改良した現行GRIGRI(2019年)まで継続的な改良

世界中の岩場やクライミングジムの様相を一変させたこの革新的な製品は、今もなお進化を続けています。

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ペツルが掲げる「Access the Inaccessible」という不変の哲学

ペツルのブランド哲学は、創設以来一貫して「Access the Inaccessible(到達不可能な場所へのアクセス)」という言葉に集約されています。これは単なるスローガンではなく、あらゆる製品開発とサービス提供の指針となっている深い理念です。

 

市場を追いかけるのではなく解決策を追求する姿勢

ペツルの製品開発は「市場主導」ではなく「解決策主導」という独特なアプローチを取っています。現場でのニーズが、設計と製造へのアプローチにおける最初の考慮事項となっており、この姿勢は40年間一貫して変わりません。

性能、人間工学、快適性、信頼性の観点から、ユーザーニーズに対する最適なソリューションを絶えず追求しているのです。ペツルの開発姿勢を示す具体例は以下の通りです。

  • ユーザーが現場で直面する現実的な問題を解決することに集中
  • プレスクリプタープログラムで各分野の専門家にプロトタイプサンプルを送付し、フィードバックを収集
  • 製品の可能な用途を見出すのは、しばしばユーザー自身であるという原則を尊重

「ペツルの製品とソリューションは決して完成することはない」という考え方のもと、常に学習し、アイデアに挑戦し、革新を続けることで、変化するユーザーニーズに適応しています。

 

ゼロディフェクトにこだわる品質管理の徹底ぶり

特に人命を預かる個人保護用具(PPE)において、ペツルが掲げる目標は「ゼロディフェクト(欠陥ゼロ)」です。これは交渉の余地のない絶対的な基準となっています。

安全性・信頼性・耐久性・人間工学を製品創造の礎とするペツルの姿勢は、創業者フェルナンから受け継がれた伝統なのです。品質管理体制の具体的な取り組みは次の通りです。

  • 自社内に専門のテスト施設を保有し、業界基準をはるかに超える独自の厳しいテストを実施
  • 動的落下試験、耐衝撃試験、人間工学に基づいた信頼性を検証するための広範なフィールドテスト
  • 機械による自動検査から、最終的には全製品が人の手による個別の検査を経て出荷

品質管理は製造工程のあらゆる段階に組み込まれており、妥協を許さない姿勢が貫かれています。この徹底した品質へのこだわりが、世界中のユーザーからの信頼を獲得している理由でしょう。

 

なぜペツルは株式を公開しない道を選んだのか?

ペツルは株式を公開せず、独立した家族経営であることを誇りとしています。この選択が、他のすべての哲学の土台となっているのです。

ポール・ペツルは以下のように語っています。

「この業界の多くの企業は情熱的な人々によって創られ、良いビジネスアイデアを持っていました。しかし、企業がますます市場シェアの観点で考え、安全性と技術を向上させるツール創造の観点で考えなくなるため、革新精神が弱体化するリスクがあります」

参考:A Matter of Gravity, Petzl Turns the Vertical Environment Into Bold Opportunity.

 

ペツルが株式非公開を選択した理由は以下の通りです。

  • 短期的な株主の利益に左右されることなく、自らの意思で決定を下し、その責任を負える
  • 長期的で持続可能なビジョンを維持することが可能
  • 真の革新性を追求するための長期的な研究開発投資を実現

この財政的・哲学的独立性があるからこそ、基準を超えるテストやゼロディフェクトの追求といった莫大な投資も実現できるのです。

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洞窟の暗闇から世界の頂へと広がったペツルの技術革新

洞窟探検という生死が隣り合わせの極限環境で開発された技術は、その堅牢さゆえに、クライミング、登山、レスキュー活動など、あらゆる垂直の世界へと応用されていきました。

1973年に世界初の登山用ヘッドランプを開発して以来、ペツルは照明技術の革新を続け、現在では年間売上1億8,400万ユーロ、50カ国以上に製品を供給するグローバル企業へと成長しています。

 

世界初のLEDヘッドランプ「ティカ」が変えた登山の常識

2000年、ペツルは「ティカ(TIKKA)」を発売し、業界初のLEDヘッドランプとして世界に衝撃を与えました。LEDは従来の白熱電球に比べて衝撃に強く、エネルギー効率が格段に高く、そしてコンパクトという革命的な特徴を持っていたのです。

このティカの登場により、ヘッドランプのデザインは根本から変わり、より小型で軽量、かつ長時間の使用が可能になりました。ティカがもたらした革新は次の通りです。

  • LED技術により長寿命化、省電力化、軽量化を実現
  • 発売当初9ルーメンだった明るさが、現在では300ルーメンを超える進化
  • 1つのボタンで全ての操作が可能なシンプル設計で初心者にも使いやすい

アウトドア用照明の概念を一変させたティカは、従来の白熱電球からLED技術への転換を主導し、夜間の登山や洞窟探検のあり方を根本から変える発明となりました。

 

極限環境で鍛えられた技術が日常でも活きる理由

ペツルの技術的優位性を示す代表例が、周囲の明るさを自動検知し、最適な光量を瞬時に調整する独自技術「リアクティブライティング」です。手動操作不要で最適な照明を提供し、バッテリー寿命を最大化するこの技術は、DUO RL、NAO RL、SWIFT RL等のハイエンドモデルに搭載されています。

日常使いでも便利な技術革新の例は以下の通りです。

  • コア充電池と単3電池の両方に対応するハイブリッドコンセプト設計
  • 誤作動防止のロック機能やバッテリー残量のインジケーター表示
  • コア充電池1個は約900個の使い捨て電池に相当する寿命で環境にも優しい

エベレストのような極限環境では、ギアはパフォーマンスだけでなく生存そのものを左右します。そうした環境で鍛えられた技術だからこそ、日常の使用においても圧倒的な信頼性と利便性を提供できるのです。

 

デジタル技術との融合で見据える次世代への挑戦

現在のペツルは次世代技術への取り組みも積極的に進めています。2006年に設立されたペツル財団は、年間利益の10%を投資し、創設以来128以上のプロジェクトに約350万ユーロを投資してきました。事故防止、環境保護、垂直世界の発見という3つの柱を持ち、コミュニティと環境への貢献を正式に組織化しているのです。

デジタル技術との融合による新たな展開は次の通りです。

  • ePPEcentreという個人保護用具管理アプリケーションの開発
  • IoT対応による機器の使用状況モニタリング技術の導入
  • AI技術を活用した適応型照明、予測保守、パーソナライゼーション

フェルナンが1933年に洞窟で感じた「未知への情熱」は、90年を経た現在でも企業の原動力となっています。技術は進歩し市場は拡大しましたが、人間が自分自身を超越することを可能にする具体的なツールを想像するという根本的な使命は変わりません。

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【まとめ】ペツル(Petzl)が歩んできた歴史

1933年、17歳のフェルナン・ペツルが洞窟探検と出会った瞬間から始まったペツルの物語は、90年を経た今も「Access the Inaccessible(到達不可能な場所へのアクセス)」という理念のもと、進化を続けています。

75平方メートルの小さな工房から始まった家族経営の企業は、世界初のLEDヘッドランプ「ティカ」や革命的なビレイデバイス(確保器)「グリグリ」など、数々の革新的な製品を生み出してきました。

現在、世界中で常時500万から1,000万人がペツルのロープやハーネスに命を預けているといわれています。ヒマラヤの高峰から深い洞窟、救助現場まで、あらゆる垂直の世界でペツル製品が生命を守っているのです。

株式を公開せず、家族経営を貫くことで、短期的な利益ではなく長期的な品質と革新を追求し続けるペツル。フェルナンが洞窟の暗闇で感じた「未知への憧れ」は、3世代を経た現在も変わることなく、人類の「不可能への挑戦」を支える原動力となっています。