現在のアウトドア業界で当たり前となっている「軽量化」という概念は、実は1998年に誕生したゴーライトというブランドが火付け役となって広まりました。
30kgを超える重いバックパックに苦しんだ一組の夫婦が、個人的な体験から生み出した革新的な思想は、やがてアウトドア業界全体を変革する大きな潮流となったのです。
フレームレス設計、画期的な新素材の採用、そして世界初のBコープ認証取得まで、ゴーライトが歩んだ道のりは単なる商業的成功を超えた文化的変革の物語でもあります。
栄光から破綻、そして復活へと続く波乱万丈な企業史を通じて、ウルトラライトバックパッキングがいかにして現代のアウトドア文化の基盤となったのかを詳しく見ていきましょう。
新婚旅行のキリマンジャロ登山から始まったゴーライトの創業物語
1994年、まだ誰もウルトラライトという言葉を知らなかった時代に、ある夫婦の衝撃的な体験がアウトドア業界を変える革命の始まりとなりました。
キム・リーザー・クーポナスとデメトリ・クープ・クーポナス夫妻の物語は、重すぎるバックパックに苦しんだ個人的な体験から、世界的なウルトラライトムーブメントを生み出すまでの感動的なサクセスストーリーです。
彼らの新婚旅行でのキリマンジャロ登山体験と、その後の人生を変える出会いが、どのようにしてゴーライトという伝説のブランドを誕生させたのかを詳しく見ていきましょう。
30kgのバックパックが教えてくれた過酷な現実
1994年、当時エリート企業で働いていたクーポナス夫妻は、日々のオフィスワークに疲弊していました。蛍光灯に照らされた窮屈な職場での紙仕事から解放されるため、彼らはニューイングランドのアパラチアン・トレイル「ハンドレッドマイル・ウィルダネス」へのバックパッキング旅行を計画します。
しかし、この旅行が運命の転換点となったのです。当時の常識に従って準備した装備は想像以上に重く、実際の重量は以下の通りでした。
わずか1.5日のハイキングの後、二人は岩の上に座り込み、完全に打ちのめされてしまいます。楽しいはずの休暇が、重すぎる荷物によって悪夢のような体験に変わってしまったのです。
その瞬間、彼らは心の底から確信しました。「絶対にもっと良い方法があるはずだ」と。この苦い経験こそが、後にアウトドア業界を変革するゴーライトの原点となったのです。
エリート企業勤務から冒険家への華麗なる転身
デメトリ・クーポナスの経歴は、アウトドアブランドの創業者としては極めて異色でした。プリンストン大学を卒業後、ハーバード・ビジネススクールとケネディスクールでMBA/MPAを取得した彼は、まさにエリート街道を歩んでいたのです。
政府と金融セクターでの華々しいキャリアには、次のような経歴が含まれていました。
しかし、彼の真の情熱はアウトドアにありました。全米50州の最高峰制覇、世界七大陸最高峰のうち4峰登頂という偉業を成し遂げ、さらにコロラド・トレイルとロング・トレイルの両方を単独無補給で完走した初の人物となります。
この二面性こそが、後のゴーライトの成功につながる重要な要素だったのです。
レイ・ジャーダインとの運命的な出会いが変えたすべて
1998年、デメトリは運命的な本との出会いを果たします。それは、ウルトラライトバックパッキングの父と呼ばれるレイ・ジャーダインの著書「The Pacific Crest Trail Hiker’s Handbook」でした。この本は、従来のアウトドア常識を根底から覆す革命的なアイデアに満ちており、デメトリは完全に魅了されてしまいます。
ジャーダインが提唱していた画期的なコンセプトは以下の通りでした。
デメトリはこの本を「ギア革命家のためのハンドブック」と呼び、すぐにジャーダインとコンタクトを取りました。そして1998年7月、ついにゴーライトが設立されます。
最初の製品ラインは、ジャーダイン自身が設計した12の革新的なアイテムでした。この出会いが、アウトドア業界全体を変える壮大な革命の始まりだったのです。
ゴーライトが提唱するウルトラライトという新しい価値観
1998年のゴーライト誕生は、単なる軽量ギアブランドの登場ではありませんでした。それまでアウトドア業界で当たり前とされていた「備えあれば憂いなし」という重装備思想に真っ向から挑戦し、全く新しい山行スタイルを提案したのです。
レイ・ジャーダインの革新的な設計思想と、クーポナス夫妻の実体験から生まれたゴーライトの哲学は、アウトドア愛好家たちの固定観念を根底から覆しました。
ここでは、ゴーライトが打ち出した「より少ないもので、より多くを成し遂げる」という革命的な価値観と、それがアメリカのロングトレイル文化にもたらした変革について詳しく見ていきましょう。
重装備の常識を覆した12の革新的製品
ゴーライトは1998年8月、わずか12の製品でスタートしましたが、そのどれもがアウトドア業界の常識を覆す革新的なアイテムでした。レイ・ジャーダインが設計したこれらの製品は、従来の重装備志向に対する明確なアンチテーゼとして機能したのです。
最も象徴的だったのは、それまで必須とされていた装備を大胆に削ぎ落とした設計でした。初期の画期的な製品には以下のようなものがありました。
これらの製品は、当初多くの登山者から懐疑的な目で見られていました。しかし、実際に使用したハイカーたちが体験した軽快さと自由度は圧倒的で、瞬く間にウルトラライトムーブメントの中核となっていったのです。
より少ないもので、より多くを成し遂げる哲学
ゴーライトの社名そのものが、彼らの哲学を完璧に表現していました。「Go Lite(軽く行こう)」という名前に込められたのは、単純な軽量化ではなく、より本質的な価値観の転換だったのです。創業者のキムが語った「私たちの社名自体が哲学であり、より少ないもので、より多くを成し遂げるという戒め」という言葉が、その思想を明確に示しています。
ゴーライトが目指していたのは次のような価値観でした。
ゴーライトの哲学は、消費社会の「より多く持つことが豊かさ」という価値観に対する根本的な問いかけでもありました。ゴーライトは山での体験を通じて、真の豊かさとは何かを問い続けたブランドだったのです。
アメリカのロングトレイル文化が生んだライト&ファストの思想
ゴーライトの思想的背景には、アメリカ独特のロングトレイル文化がありました。パシフィック・クレスト・トレイルやアパラチアン・トレイルなど、数千キロに及ぶ長距離トレイルを歩く文化が育んだのが「ライト&ファスト」という新しいアプローチでした。
従来のスタイルでは、長距離を歩くために大量の装備を持参することが当然とされていましたが、ゴーライトは全く逆の発想を提案したのです。「長距離だからこそ軽量化が重要だ」という革新的な考え方には、以下のようなメリットがありました。
この思想は、やがてアウトドア業界全体に浸透し、現在では多くのメーカーが軽量化を最優先課題として取り組むようになりました。ゴーライトが蒔いた種は、アウトドア文化そのものを変革する大きな潮流となったのです。
業界初の技術革新でウルトラライト市場を切り拓いたゴーライトの挑戦
ゴーライトが真にアウトドア業界を変革できたのは、単なる思想の転換だけではありませんでした。彼らは革新的な哲学を具現化するために、それまで誰も試みたことのない技術的挑戦に果敢に取り組んだのです。
など、ゴーライトの技術革新は多岐にわたりました。
ゴーライトの取り組みは、ウルトラライトギアを一部のマニア層だけのものから、より多くのアウトドア愛好家が手に取れる身近な存在へと押し上げる原動力となったのです。
フレームレス設計という革命的な発想転換
1990年代まで、重い荷物を快適に背負うためにはアルミフレームが絶対に必要だと信じられていました。しかし、ゴーライトはこの常識に真っ向から挑戦し、フレームレス設計という革命的なアプローチを採用したのです。
この大胆な決断は、単に重量を削減するだけでなく、バックパック全体の概念を根本的に見直すものでした。フレームレス設計がもたらした変革は以下の通りです。
この設計思想は当初、多くの専門家から「危険だ」と批判されました。しかし、実際に使用したハイカーたちが体験した軽快さと自由度は圧倒的で、やがて他のメーカーも追随するようになったのです。ゴーライトが切り拓いたフレームレス設計は、現在のウルトラライトバックパックの基礎となっています。
ダイニーマグリップストップ生地がもたらした強度と軽量性の両立
ゴーライトの技術革新で最も画期的だったのが、ダイニーマグリップストップ(Dyneema Gridstop)生地の採用でした。この新素材は、100%ナイロンベース糸とダイニーマ繊維を巧みに組み合わせた独自の織物で、重量比で高張力鋼の15倍という驚異的な強度を実現したのです。
従来のバックパック生地では不可能だった軽量性と耐久性の両立を可能にしたこの革新的素材は、アウトドア業界に衝撃を与えました。ダイニーマグリップストップ生地の特性には以下のような優れた点がありました。
この素材革新により、ゴーライトのバックパックは容量に対する重量比で業界最高レベルの104 ci/ozという数値を達成しました。現在では多くのウルトラライトメーカーがこの生地技術を採用しており、業界標準となっています。
卸売価格戦略で実現したウルトラライトギアの民主化
ゴーライトが業界に与えた最も大きなインパクトの一つが、革新的な価格戦略でした。当時、高品質なウルトラライトギアは300ドル以上という高価格帯が当たり前で、一部の富裕層やプロフェッショナルだけが手にできる特別な存在だったのです。
しかし、ゴーライトは卸売価格戦略を採用し、約130ドルという破格の価格でプレミアムウルトラライトギアを提供しました。この価格革命がもたらした変化は劇的でした。
ゴーライトの戦略により、ウルトラライトギアは特別な存在から身近な選択肢へと変わりました。ゴーライトの価格革命は、単に商品を安く売るだけでなく、アウトドア文化の裾野を広げる重要な役割を果たしたのです。多くの人がウルトラライトの魅力を知ることができたのは、この画期的な価格戦略があったからこそでした。
世界初のBコープ認証が示すゴーライトの持続可能性への想い
ゴーライトの革新性は、製品技術だけにとどまりませんでした。彼らは企業経営においても先駆的な取り組みを行い、アウトドア業界における持続可能性の新しいスタンダードを確立したのです。
2008年に世界で最初のBコープ(Bコーポレーション)認証を取得し、アウトドアブランドとしては初の快挙を成し遂げました。創業者夫妻が世界中をバックパッカーとして旅した経験から培われた自然環境への深い愛情が、単なる利益追求を超えた企業理念として結実したのです。
ここでは、ゴーライトが示した持続可能な企業経営モデルと、それが製品開発にどのように反映されたかを詳しく見ていきましょう。
アウトドアブランド初の社会的責任経営モデル
2008年、ゴーライトは世界で最初の「Certified B Corporation」の一つとなり、アウトドアブランドでは史上初の認証を受けました。Bコープ認証は、単純な利益追求ではなく、社会的・環境的責任を果たす企業に与えられる厳格な認証制度です。
Bコープ認証の取得は、ゴーライトが目指していた企業像を明確に示すものでした。さらに2010年には、「Global Reporting Initiative」によって世界でも数少ないA+検証レベルの評価を受けた持続可能性報告書を発表します。
これらの取り組みが示していた企業姿勢は以下の通りです。
この先駆的な取り組みは、現在多くのアウトドアブランドが採用している企業の社会的責任への意識の礎となりました。ゴーライトが蒔いた種は、業界全体の価値観を変える大きな潮流となったのです。
地球環境への深い愛情から生まれた製品開発姿勢
ゴーライトの環境への取り組みは、単なる企業イメージ戦略ではありませんでした。創業者夫妻がキリマンジャロ登山や世界各地でのバックパッキングを通じて培った自然環境への深い愛情が、製品開発の根幹に息づいていたのです。
彼らは「製品が何十年も顧客に役立つことを望む。なぜなら、それは製品が持つべき寿命であり、より環境に配慮した製品製造方法だから」という信念を持っていました。この哲学から生まれた製品開発姿勢には、次のような特徴がありました。
この姿勢は、大量生産・大量消費の現代社会に対する静かな異議申し立てでもありました。ゴーライトは製品を通じて、本当に必要なものだけを大切に長く使うというライフスタイルを提案し続けたのです。自然を愛するすべての人に響く、深い哲学が込められていました。
リサイクル素材80%使用という先駆的な環境配慮
ゴーライトの環境配慮は具体的な数値として結果に現れました。2010年には、メインパック生地、トラベルラゲージ、スリーピングバッグコレクションの100%をリサイクル素材に転換するという画期的な偉業を達成したのです。
さらに復活後の新生ゴーライトでは、製品ラインの80%以上が環境配慮型、リサイクル、低エネルギー生産材料で開発されています。これらの取り組みがもたらした環境への効果は非常に大きなものでした。
この数値は単なる目標ではなく、実際に達成された具体的な成果でした。ゴーライトのリサイクル素材への取り組みは、現在のアウトドア業界における環境配慮の基準となり、多くのメーカーが同様の取り組みを行うきっかけとなったのです。彼らが示した道筋は、アウトドア業界の未来を大きく変える重要な指針となっています。
栄光から破綻、そして復活へ向かうゴーライトの波乱万丈な歩み
ゴーライトの歴史は、まさにアメリカンドリームとその挫折、そして不死鳥のような復活を体現した物語です。
1998年の創業からわずか十数年で23ヶ国に展開する国際的ブランドへと急成長を遂げながら、2014年には突然の経営破綻に見舞われました。しかし、その革新的なDNAと持続可能性への取り組みは消えることなく、2018年に新たな形で復活を果たします。
ここでは、ゴーライトが経験した栄光の絶頂から奈落の底への転落、そして全く新しい姿での再生という波乱万丈な企業史を詳しく振り返り、そこから学べる教訓について考えてみましょう。
23ヶ国展開という驚異的成長の光と影
ゴーライトの成長スピードは、アウトドア業界でも稀に見る驚異的なものでした。1998年の創業からわずか10年余りで、同社は23ヶ国での販売を実現し、60以上もの業界賞を獲得するまでに成長したのです。
ウルトラライトバックパッキング運動の火付け役として広く認識され、他のアウトドアメーカーも軽量ギアへの全体的なシフトを起こすほどの影響力を持つようになりました。この急成長を支えていた要因は以下の通りです。
しかし、この急速な拡大は同時に大きなリスクも抱えていました。組織管理の複雑化、品質管理の困難さ、そして何より創業時の理念との乖離が徐々に進行していたのです。成功の光の裏で、確実に影が忍び寄っていました。
直営店拡大戦略が招いた2014年の経営破綻
2012年、ゴーライトは大胆な戦略転換に踏み切りました。それまでの卸売モデルを放棄し、全米20店舗以上の直営店展開へと舵を切ったのです。この決断の背景には、成長するEコマースビジネスの成功があり、消費者との直接的な関係構築を目指していました。
しかし、この戦略が致命的な結果をもたらすことになります。直営店舗は想定以上に大きく、運営コストが急激に増加したのです。さらに深刻だったのは、創業時の理念からの逸脱でした。
2014年10月13日、ついにゴーライトはチャプター11破産を申請しました。負債総額は100万から1000万ドルに上り、主要製造業者への134万ドルの債務も抱えていました。16年間にわたって業界をリードし続けたブランドの突然の終焉は、アウトドア業界に大きな衝撃を与えたのです。
新生ゴーライトとして蘇ったアウトレティクスという新境地
ゴーライトの物語は2014年で終わりませんでした。2018年5月、台湾のEGI Ltd.がゴーライト商標を取得し、ExOfficio創設者ライアン・ヘマーリングが率いるチームによってブランドの復活が実現したのです。
しかし、新生ゴーライトは従来のウルトラライトバックパッキングギアから大きく方向転換し、「アウトレティクス」という全く新しいコンセプトを打ち出しました。これはアウトドアパフォーマンスとアスレチック機能を融合させた革新的なアプローチでした。
新生ゴーライトの特徴は以下の通りです。
新生ゴーライトは、創業時の持続可能性への理念を受け継ぎながら、現代のニーズに対応した全く新しいブランドとして生まれ変わりました。過去の教訓を活かし、より持続可能で社会貢献度の高い企業として、新たな歴史を刻み始めているのです。
【まとめ】ゴーライト(GOLITE)が歩んできた歴史
ゴーライトの物語は、30kgのバックパックに苦しんだ夫婦の個人的体験から始まり、アウトドア業界全体を変革する壮大な革命へと発展しました。
1998年の創業から2014年の破綻まで、彼らはウルトラライトバックパッキング運動の火付け役として、フレームレス設計やダイニーマ生地といった革新技術を生み出し、世界初のBコープ認証取得で持続可能性の新基準も確立しました。
23ヶ国展開という急成長の末に経営破綻を経験しましたが、2018年にアウトレティクスという新コンセプトで復活を果たします。
ゴーライトが残した最大の遺産は、「より少ないもので、より多くを成し遂げる」という哲学です。この思想は現在も多くのアウトドアブランドに受け継がれ、軽量化と環境配慮を重視する現代のアウトドア文化の礎となっているのです。
ゴーライトの人気マウンテンギア
ゴーライトで人気のあるマウンテンギアをピックアップして紹介。
ゴーライト ジャムパック
レイ・ジャーダインが考案した軽量パックを元にした同社の定番モデル。容量50リットルに対して、重さはわずか879gしかない。
ゴーライト アドレナリン3シーズン
高品質な800FPダウンを使い、マイナス7度まで対応する3季用モデル。ジッパーを胸元に配置することで短くても使いやすい。
ゴーライト シャングリラ3
3人用でわずか1.1キロのフロアレス・ワンポールシェルター。オプションを加えることで通常のテントとしても使用可能。