
1924年、関東大震災の焼け跡から一人の若者が立ち上がりました。玩具問屋で働いていた岩井新蔵は、震災翌年にスポーツ用品店「増新商店」を創業。「ますます新しい」という想いを込めた「EVERNEW」というブランド名は、100年経った今も革新への情熱を燃やし続けています。
世界初のチタンクッカー開発、0.3mmという他社が追いつけない極薄加工技術、そして2025年には前人未到の0.2mm厚への挑戦。燕三条の職人たちとともに「不可能」を可能にしてきたエバニューの歩みは、日本のものづくりの誇りそのものです。
この記事では、創業者の志から最新技術まで、エバニューの100年を紐解いていきます。
関東大震災の焼け跡から立ち上がったエバニュー創業者の物語
エバニューの歴史は、日本を襲った未曾有の災害から始まります。1923年の関東大震災で被災した一人の若者が、焼け野原の中から立ち上がり、翌年に創業したのがこのブランドの原点です。
玩具業界から転身し、スポーツ用品の世界へ飛び込んだ創業者・岩井新蔵の決断と、そこに込められた想いを紐解いていきましょう。
玩具問屋の若者が震災翌年に下した大きな決断
1923年9月1日、関東大震災が東京を襲いました。死者・行方不明者約10万5千人、東京市街地の44%が焼失するという壊滅的な被害をもたらしたこの災害は、玩具問屋「増田屋」で働いていた若き岩井新蔵の人生も大きく変えることになります。
被災した岩井新蔵は、震災からわずか1年後の1924年9月、東京都台東区蔵前で「増新商店」を創業しました。注目すべきは、彼が選んだ事業分野です。それまで携わっていた玩具業界ではなく、スポーツ用品の世界へと大胆に転身したのです。
この決断の背景には、震災で傷ついた人々の心身の健康を支えたいという強い想いがありました。娯楽を提供する玩具から、人々の健康づくりに貢献できるスポーツ用品へ。逆境を新たな挑戦の機会へと変える、岩井新蔵の強靭な精神力が垣間見えます。
「増新商店」という社名に込められた二つの意味
創業時につけられた「増新商店」という社名には、実は二つの意味が込められていたと言われています。
一つ目は、かつて勤めていた「増田屋」への敬意を表す意味です。暖簾分けをしてもらった恩義を忘れず、「新しい増田屋」として歩んでいくという決意が込められていました。
二つ目は、創業者自身の名前「新蔵」の「新」と、事業の発展を願う「増」を組み合わせたものです。自らの名前を刻み込むことで、この事業に人生を懸けるという覚悟を示したのかもしれません。
このように「増新商店」という社名からは、過去への感謝を忘れず、それでいて新しい未来を切り開いていこうとする創業者の実直な人柄がうかがえます。ルーツを大切にしながらも前を向く姿勢は、現在のエバニューにも脈々と受け継がれています。
なぜ1930年代に英語のブランド名をつけたのか?
1933年、創業から約10年を経て、岩井新蔵は「EVERNEW(エバニュー)」という英語のブランド名を立ち上げます。1930年代の日本において、英語のブランド名を採用することは非常に珍しく、先進的な発想でした。
この「EVERNEW」という名前は、「増新」を英語に置き換えたものです。
つまり「いつも新しい何かを追い求める」という創業者の哲学が、このブランド名には凝縮されているのです。日本語の「増す増す新しい」という想いを、世界に通用する言葉で表現した岩井新蔵の先見性には驚かされます。
この「ますます新しい」という精神は、100年後の現在もエバニューの企業理念として生き続けており、革新的な製品を生み出す原動力となっています。
「ますます新しい」というブランド名に宿るエバニューの哲学
「EVERNEW」という名前には、創業者・岩井新蔵の哲学がそのまま刻み込まれています。「いつも新しい何かを追い求める」という精神は、単なるスローガンではありません。
100年にわたって受け継がれてきたこの言葉が、エバニューのものづくりにどのように息づいているのかを見ていきましょう。
100年経っても色褪せない創業者の言葉
「ますます新しい」という創業者の言葉は、2024年に創業100周年を迎えた現在も、エバニューの企業活動の根幹を支えています。この哲学は3代目となる現社長・岩井大輔氏にもしっかりと受け継がれており、創業家が一貫して革新への姿勢を守り続けてきました。
エバニューが100年間追求してきた「新しさ」には、いくつかの特徴があります。
この精神があるからこそ、エバニューは時代の変化に対応しながらも、ブレない軸を持ち続けることができているのです。
質実剛健なものづくりへのこだわりとは?
エバニューのものづくり哲学を一言で表すなら「質実剛健」という言葉がぴったりです。見た目の派手さや流行りのデザインよりも、過酷なアウトドア環境で本当に使える道具であることを最優先にしています。
このこだわりは、製品の細部にまで徹底されています。例えばチタン製品の焦げ付き問題に対しては、フッ素コートからセラミックコートへと継続的に改良を重ね、耐久性と耐熱性を大幅に向上させてきました。
また「1つ買えば長く活躍する」という製品設計も特徴的です。使い捨てではなく、何年も使い込める道具を作ることで、結果的に環境負荷の軽減にも貢献しています。派手さはなくとも、実直に品質を追求する姿勢こそがエバニューらしさと言えるでしょう。
登山者が安心して使える道具を届けたいという想い
エバニューの企業理念には「スポーツを通して健康的な社会創りに貢献する」という言葉が掲げられています。これは震災後にスポーツ用品業界へ転身した創業者の想いを、現代に受け継いだものです。
登山という活動において、道具の信頼性は時に命に関わります。だからこそエバニューは、ユーザーが安心して使える品質にこだわり続けてきました。その姿勢は以下のような取り組みにも表れています。
「Made in TSUBAME」の品質を保証することで、山で頼れる道具を届けたいという想いが、すべての製品に込められています。
不可能と言われたチタンクッカーに挑んだエバニューと燕三条の職人たち
エバニューの歴史を語る上で欠かせないのが、世界初のチタンクッカー開発という偉業です。1990年代、多くの専門家から「不可能だ」と言われた挑戦に、エバニューと新潟県燕三条の職人たちが立ち向かいました。
約2年にわたる試行錯誤の末に生まれたこの製品は、アウトドア業界に革命をもたらすことになります。
「やめておけ」と言われても諦めなかった2年間
1990年代初頭、エバニューのアウトドア事業部でチタンクッカーの構想が生まれました。チタンは軽量で高強度、しかも人体に無害という理想的な素材です。しかし、クッカーとして成形するには大きな壁がありました。
チタンはアルミやステンレスより硬いにもかかわらず、プレス加工で深く絞ろうとすると問題が発生します。
多くの金属加工メーカーが匙を投げる中、エバニューは諦めませんでした。彼らが頼ったのは、日本有数の金属加工の町として知られる新潟県燕三条の職人たちだったのです。
失敗作もすべて買い取るという覚悟が職人の心を動かした
燕三条には200年以上続く鎚起銅器の伝統があり、金属加工において世界でもトップクラスの技術を持つ職人たちがいます。しかし、前例のないチタンの深絞り加工は、彼らにとっても未知の領域でした。
ここでエバニューが示した姿勢が、職人たちの心を動かします。それは「失敗した試作品もすべて買い取る」という申し出でした。通常、発注者と下請けという関係では、失敗のリスクは製造側が負うことが多いものです。しかしエバニューは開発のリスクを共有し、共にゴールを目指す「運命共同体」としての覚悟を見せたのです。
この姿勢が職人たちのプライドに火をつけ、不可能への挑戦が本格的に始まりました。
世界初のチタンクッカー誕生の瞬間
約2年間の共同開発は、数え切れない失敗の連続だったといいます。職人たちはその日の気温や湿度を感じ取りながら、プレス機の速度や圧力、金属に塗る油の配合といったマニュアル化できない技術を駆使して難題に挑みました。
そして1994年、ついに世界初となるチタン製深絞りクッカーの量産化に成功します。1996年頃の本格発売時には、展示会で「驚愕の軽さ」として大きな反響を呼びました。
この成功は単なる新製品の誕生ではありません。
この挑戦があったからこそ、今日のエバニューがあるのです。
0.4mmから0.2mmへと薄さを極めていく終わりなき挑戦
世界初のチタンクッカーを生み出したエバニューですが、彼らの挑戦はそこで終わりませんでした。「ますます新しい」という創業精神のもと、チタンの薄さをさらに極める技術革新が続きます。
0.4mmから0.3mm、そして0.2mmへ。その歩みは、まさに限界への挑戦の連続でした。
他社が追いつけない0.3mm厚という金字塔
1994年に誕生した最初のチタンクッカーは、厚さ0.4mmで製造されていました。当時としては画期的な薄さでしたが、エバニューはさらなる軽量化を目指します。
そして2000年、彼らは0.3mm厚という驚異的な薄さを実現しました。従来品と比べて20%もの軽量化を達成したこの技術は、開発陣が「縄文土器から鉄器への進化に匹敵する革新」と位置づけるほどの偉業です。
この0.3mm厚のチタン加工技術は、エバニューの圧倒的な競争優位性となりました。
現在では0.4mm厚のチタン製品は海外でも製造可能になっていますが、0.3mmの領域はいまだにエバニューの独壇場なのです。
職人の「暗黙知」がなければ実現できなかった技術
なぜエバニューだけが0.3mmという薄さを実現できるのでしょうか。その秘密は、燕三条の職人たちが持つ「暗黙知」にあります。
チタンを極限まで薄く加工するには、マニュアル化できない繊細な技術が必要です。職人たちは以下のような要素を感覚的に調整しながら加工を行います。
これらは数値化できるものではなく、長年の経験と勘によってのみ習得できる技術です。エバニューの開発担当者は7年間にわたって燕三条に通い続け、職人たちとの信頼関係を築いてきました。この人間同士の絆こそが、世界最高峰の技術を支えているのです。
創業100年を超えてなお0.2mmという未知の領域へ
2024年に創業100周年を迎えたエバニューですが、挑戦の歩みは止まりません。2025年、彼らはついにアウトドアブランド初となる0.2mm厚のチタンカップ「Apex cup t0.2」の開発に成功しました。
このプロジェクトのきっかけは、材料メーカーからの提案でした。「0.2mm厚のチタンがあるが、挑戦してみないか」という問いかけに、職人たちの魂が再び燃え上がったのです。
0.2mmという厚さは、これまでの技術的限界をさらに押し上げるものでした。金属にたわみやヒビが入りやすく、加工は極めて困難を極めます。しかし、エバニューと燕三条の職人たちは、その壁を乗り越えました。
「ますます新しい」という100年前の創業者の言葉は、今もなお生きた哲学として次の100年へと受け継がれていきます。
なぜウルトラライトハイカーはエバニューを選ぶのか?
グラム単位で装備の軽量化を追求するウルトラライトハイカーたちから、エバニューは絶大な支持を得ています。しかしその魅力は、単に「軽い」というだけではありません。
引き算の美学、経年変化の美しさ、そして不便さを楽しむという独特の価値観。エバニューが玄人たちの心を掴む理由を探っていきましょう。
引き算の美学が生んだノンハンドルという発想
エバニューのクッカーデザインには「引き算の美学」という哲学が貫かれています。不要なものを徹底的に削ぎ落とし、本質的な機能だけを研ぎ澄ませていく。その象徴的な存在が、ハンドル(持ち手)すら取り去った「ノンハンドル(NH)」シリーズです。
実はこの発想は、一部のウルトラライトハイカーが自らハンドルを外して使っていたことから生まれました。ユーザーのリアルな声に耳を傾け、製品化に踏み切ったエバニューらしいエピソードです。
ノンハンドルシリーズの代表格である「Ti 400 NH」は、容量400mlで重量わずか34gという究極のミニマリズムを体現しています。
必要なものだけを残すという潔さが、多くのハイカーを魅了しているのです。
使い込むほど美しくなるチタンブルーの魅力
エバニューのチタン製品を語る上で欠かせないのが「チタンブルー」と呼ばれる経年変化です。火にかけるたびに、チタンの表面は美しい青や紫の色合いに染まっていきます。
この焼き色は、使い込んだ人だけが手に入れられる特別な勲章のようなもの。新品の状態が最も美しいのではなく、旅を重ねるごとに唯一無二の道具へと育っていくのです。
この価値観は、日本の「わび・さび」の美意識にも通じるものがあります。
ギアが単なる消耗品ではなく、かけがえのないパートナーになっていく。そんな体験ができるのも、エバニューの大きな魅力です。
玄人が惚れ込む「不便さを楽しむ」という価値観
正直に言えば、エバニューの製品は万人向けではありません。価格は決して安くなく、ノンハンドルのカップを熱いまま持つにはポットリフターや布を使う工夫が必要になります。ミニマルな設計ゆえに、使い手を選ぶ側面があるのも事実です。
しかし、この「不便さ」こそがエバニューの魅力だと語るファンは少なくありません。火力調整が難しいアルコールストーブを使いこなすには、風を読み、ゴトクを工夫し、常に注意を払う必要があります。このプロセス自体が、湯を沸かすという行為を単なる作業から「儀式」へと昇華させるのです。
道具の背景にある物語を理解し、素材の特性を味わい、日本の職人技に価値を見出す。そんな玄人的な登山者にとって、エバニューは唯一無二の存在なのです。
【まとめ】エバニュー(EVERNEW)が歩んできた歴史
1923年の関東大震災から立ち上がった創業者・岩井新蔵の志は、100年の時を経た今も色褪せることなく受け継がれています。「ますます新しい」という言葉に込められた革新への情熱は、世界初のチタンクッカー開発や0.2mm厚という未知の領域への挑戦として結実してきました。
これらすべてが、エバニューというブランドを唯一無二の存在にしています。次の100年に向けて、エバニューの挑戦はまだまだ続いていきます。
