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マーモット創業物語|学生寮から始まった「FOR LIFE」というものづくり哲学

マーモットのブランドヒストリーと哲学

Marmot/マーモット

【創業国】アメリカ
【創業年】1974年
【創設者】エリック・レイノルズ(Eric Reynolds)、デイブ・ハントリー(Dave Huntley)、トム・ボイス(Tom Boyce)

 

マーモットの昔のロゴには、可愛らしいジリスが描かれていたことを知っていますか?実はマーモット(Marmot)というブランドには、アウトドア業界の常識を次々と覆してきた革命的な歴史があるのです。

1971年、カリフォルニア大学の学生寮から始まった小さな挑戦は、

  • 世界初のGORE-TEX採用
  • 商業用冷凍庫での7日間テスト
  • クリント・イーストウッドとの運命的な出会い

など、数々の伝説を生み出してきました。

「FOR LIFE(生還するためのプロダクト)」という哲学のもと、創業者たちは利益よりも品質を、流行よりも機能を追求し続けます。お金がなかった学生時代から始まり、今では年間売上2億ドルのグローバルブランドへ。

この記事では、「はみ出し者の山の変人たち」と自らを呼んだ3人の若者が、いかにして登山家たちから絶大な信頼を得るブランドを築いたのか、その感動的な物語をお届けします。

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マーモット(Marmot)はアラスカの氷河で生まれた奇跡のブランド

世界中の登山家から愛されるマーモットの物語は、1971年のアラスカから始まります。ビジネスプランも資金もなかった若者たちが、純粋な山への情熱と友情から生み出したこのブランドは、今では年間売上2億ドルを誇る世界的企業へと成長しました。

その原点には、既存の価値観にとらわれない自由な発想と、仲間を大切にする温かい哲学がありました。

 

授業をサボって人生が変わった2人の学生の運命的な出会い

1971年、カリフォルニア大学サンタクルーズ校の学生だったエリック・レイノルズとデイブ・ハントリーは、授業を回避してアラスカ氷河研究プロジェクトに参加することを選びました。レイノルズは冒険心あふれるビジョナリー、一方のハントリーは地球科学と生物学を専攻する技術者気質の青年でした。

極寒のアラスカで2ヶ月間を過ごした二人が感じたのは、既存のアウトドア装備への強い不満だったのです。この体験が、後の革新的な製品開発への原動力となります。お互いを「変わり者の登山愛好家」と認め合った二人は、アウトサイダーとしての共通の精神を分かち合い、生涯にわたる友情を築くことになりました。

 

なぜ高山のジリス「マーモット」が名前になったのか?

アラスカから戻った二人は「Marmot Mountain Club(マーモット・マウンテン・クラブ)」という登山サークルを立ち上げます。マーモットとは、西部の高山地帯に生息する社会性の高いリス科の動物のことです。甲高い鳴き声を上げながら岩場を駆け回るこの愛らしい生き物は、創業者たちの冒険精神と山への愛情を完璧に象徴していました。

孤高を好むエリート登山とは対照的に、社会性の高い動物を選んだことには深い意味があります。彼らが目指したのは、個人の栄光ではなく、山を愛する仲間との繋がりを大切にするコミュニティだったからです。

「マーモット」というブランド名は、製品の品質だけでなく、人と人との関係性を重視するブランド哲学を、創業当初から示していたのです。

 

全員が会長という不思議なクラブから始まった反骨精神

マーモット・マウンテン・クラブの運営方針は実にユニークでした。メンバーになる条件はただ一つ、既存メンバーと一緒に山頂を制覇すること。そして一度メンバーになれば、「全員が会長(everyone is president)」というルールが適用されます。

この一見ふざけたルールには、権威や階級を否定し、誰もが平等に参加できるコミュニティを作りたいという強い思いが込められていました。招待状も序列も存在しない、自由で開放的な集まり。

この反階級主義的な思想は、後にマーモットが持つ革新的で自由な企業文化の土台となったのです。「はみ出し者の山の変人たち(oddball mountain misfits)」と自らを呼んだ彼らの精神は、今もブランドのDNAとして受け継がれています。

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学生寮で始まったマーモットのものづくり革命

マーモット・クラブの活動と並行して、1971年から1973年にかけて始まった手作りのギア製作。それは資金不足と既存製品への不満から生まれた必然でした。

カリフォルニア大学の学生寮の一室が工房となり、後に世界的ブランドとなるマーモットの製品開発の原点が形作られていきます。この時期の試行錯誤と情熱的な挑戦が、今日まで続くマーモットの革新的なものづくり精神の礎となりました。

 

お金がなかったから自分たちで作るしかなかった

学生だったエリックとデイブには、高価なアウトドアギアを買う経済的余裕がありませんでした。さらに、市場に出回っている製品は彼らが求める過酷な使用条件に耐えられるものではなかったのです。

そこで二人は寮の部屋を工房に変え、自分たちの手で装備を作り始めます。製作したアイテムは実に多彩でした。

  • ダウンジャケットやベストを自分たちの体型に合わせて設計
  • 寝袋は同級生向けにカスタムメイドで販売
  • 地元サンタクルーズの「Custom Alpine Equipment」で縫製技術を習得

この「使う者が作る」という哲学こそが、マーモット製品の品質へのこだわりの原点となりました。机上の空論ではなく、実際のフィールドでの経験から生まれた製品だからこそ、本物の信頼性が宿ったのです。

 

クリント・イーストウッドが認めた伝説の1週間

1974年、正式に「マーモット・マウンテン・ワークス」社を設立した直後、運命的な依頼が舞い込みます。クリント・イーストウッド監督・主演の映画『アイガー・サンクション』のために、108着もの極厚ダウンジャケットを1週間で製作してほしいという無茶な注文でした。

トム・ボイスがペルー登山中に映画製作者マイク・フーバーと出会ったことがきっかけとなったこの依頼。多くの企業が断るであろう条件でしたが、3人は不眠不休で作業に取り組みます。

完成した「ゴールデンマントル・パーカ」は625フィルパワーのグースダウンを使用し、当時珍しかったGORE-TEXも採用した本格的な遠征仕様。映画撮影スタッフ全員がこのジャケットを着用し、マーモットの名は一気に全米へと広がったのです。

 

商業用冷凍庫で7日間寝袋テストをした男たちの執念

1976年、WLゴア&アソシエイツ社のジョー・タナーとの出会いが、マーモットに革命をもたらします。当時まだ無名だったGORE-TEX素材の性能を確かめるため、エリックとデイブは前代未聞のテストを実施しました。

彼らが選んだテスト方法は、商業用の食肉冷凍庫で7日間連続で寝泊まりするという過激なもの。GORE-TEXを使用した寝袋と従来品を比較し、さらに消防用スプリンクラーの下で防水性能も検証します。

この徹底的な実地検証により、世界初のGORE-TEX採用アウトドアアパレル企業として、「The Gopher」という完全防水で軽量な革新的寝袋を世に送り出しました。この執念ともいえる品質へのこだわりが、今もマーモットのDNAとして受け継がれているのです。

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「FOR LIFE」というマーモットの揺るがない哲学

マーモットを単なるアウトドアブランドではなく、特別な存在にしているのが「FOR LIFE 生還するためのプロダクト」という哲学です。これは単なるキャッチコピーではなく、50年以上にわたってブランドの根幹を支え続ける理念。

極限環境で着用者の生命を守るという使命感が、すべての製品開発に息づいています。創業者たちの「質を犠牲にして利益を追求することは決してない」という言葉は、今も変わらぬ約束として守られているのです。

 

生還するための道具を作るという究極の使命

「FOR LIFE」という言葉には、マーモットの深い覚悟が込められています。それは単に快適な登山を提供するだけではなく、極限環境下で確実に生命を守る道具を作るという究極の責任を背負うことを意味します。

デイブ・ハントリーは「マーモットが生き残り続けた理由は、何よりもまず本当に高品質の製品を第一にするという価値観にある」と語っています。エリック・レイノルズも「質を犠牲にして利益を追求することは決してない」と断言。

この哲学は15年以上使用され続けているブランドスローガン「Marmot for Life」にも表れており、生還のため、そして楽しむための装備という二つの意味を持ちます。極限環境でのサバイバルを支える信頼性こそが、マーモットの存在意義なのです。

 

ユーザー視点が生んだ業界初の数々のイノベーション

創業者自身がクライマーだったマーモットは、常にユーザーの立場から革新を生み出してきました。1979年以降、現在では当たり前となった多くの機能を業界で初めて実現しています。

  • 1979年に脇の下のジッパー式ベンチレーション(ピットジップ)を開発
  • 雪の侵入を防ぐパウダースカートやベルクロ調節可能な袖口を標準化
  • 1982年に女性の身体構造に合わせた業界初の女性専用ギアを発表
  • 1983年に「ライトパッキング」という概念を提唱し、全製品を軽量化
  • 1987年に8,000メーター級高峰用の「8,000 Meter Suit」を開発

これらの革新は市場のトレンドではなく、登山者の潜在的ニーズから生まれた先見性に満ちた挑戦でした。

 

なぜプロの登山家たちは命をマーモットに託すのか?

世界中のプロ登山家がマーモットを選ぶ理由は、その徹底した品質管理体制にあります。日本の滋賀県瀬田にある東レの「テクノラマGIII」では、温度-30℃から60℃、風速最大108km/h、降雨量200mm/hという極限環境でのテストを実施。赤外線熱画像システムやモーションキャプチャ装置を駆使した科学的な性能測定が行われています。

2022年に復活したマーモット・リサーチチームは、1971年創設時の実用テスト精神への回帰を象徴しています。プロアスリートや山岳ガイド、一般消費者を含む包括的なテストチームが、実際の使用環境で長期評価を実施。8,000メートル級高峰での製品テストも行われ、その信頼性は実績で証明されているのです。

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世界初のGORE-TEX採用がマーモットを変えた

1976年、マーモットはアウトドア業界の歴史を塗り替える決断を下しました。まだ誰も知らなかったGORE-TEXという革新的素材にいち早く着目し、世界で初めて製品化に成功したのです。

この大胆な挑戦は、単に新素材を採用しただけではありません。その後も続く技術革新への飽くなき探求心と、分子レベルでの品質へのこだわりが、マーモットを技術の最前線に立たせ続けています。現在もGORE-TEXの50年来のパートナーとして、革新を続けているのです。

 

誰も知らなかった新素材に賭けた大胆な決断

1976年、エリック・レイノルズがWLゴア&アソシエイツ社のジョー・タナーと出会ったとき、GORE-TEXは「防水性と透湿性を両立する」という、にわかには信じがたい性能を謳う未知の新素材でした。多くの企業がその性能を疑問視する中、マーモットは世界初のGORE-TEX採用アウトドアアパレル企業となる道を選びます。

しかし彼らは、メーカーの謳い文句を鵜呑みにはしませんでした。商業用冷凍庫での7日間連続睡眠テストという前代未聞の実験を敢行。さらに消防用スプリンクラーでの防水テストも実施し、徹底的に性能を検証します。

この賭けは見事に成功し、「The Gopher」という完全防水で軽量な革新的寝袋が誕生。アウトドアウェアの新たなスタンダードを確立し、今もGORE-TEXの最古参パートナーとして信頼関係を続けています。

 

WarmCubeが実現した究極の保温技術の秘密

2019年、マーモットは保温技術の常識を覆す「WarmCube」を発表しました。製氷皿から着想を得たというこの画期的な技術は、世界最大級のスポーツ用品見本市ISPOで金賞を受賞するほどの革新性を持っています。WarmCubeの特徴は、その独創的な3D構造にあります。

  • 独立した3Dキューブが身体の動きに合わせて柔軟に追従
  • ダウンの偏りを防ぎ、常に均一な保温性を維持
  • キューブ間の溝(チャネル)が暖かい空気を溜め込む第二の断熱層を形成
  • 体の形状に完璧にフィットし、コールドスポットを完全に排除

「WarmCube」の技術により、従来の寝袋やジャケットでは実現できなかった、究極の保温性と快適性の両立が可能になったのです。

 

分子レベルまでこだわる技術革新への飽くなき挑戦

マーモットの技術革新は、素材の分子構造にまで踏み込んでいます。「Down Defender Technology」では、個々のダウンクラスターを分子レベルでDWR処理することで、20回洗濯後も撥水性能を維持。従来の未処理ダウンより10倍長く乾燥状態を保つことに成功しました。

さらに環境に配慮した「EVODry Technology」では、分子レベルでの水無し製造プロセスを実現。永続的なDWR処理により再塗布が不要で、20,000mmの防水性能と20,000gの透湿性能を達成しています。24時間連続豪雨にも対応し、85%の有害染料削減も実現。

2017年には3M社と共同開発した「Featherless」により、700フィルパワーのダウンに匹敵する保温性を75%リサイクル素材で実現するなど、革新は止まることを知りません。

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マーモット創業者たちが教えてくれる本物の生き方

マーモットの創業者たちは、ブランドを離れた後も「FOR LIFE」の精神を体現し続けています。特にエリック・レイノルズの歩んだ道は、マーモットの哲学が単なるマーケティングメッセージではなく、人生そのものを貫く信念であったことを証明しています。

アウトドアから始まり、やがて世界の課題解決へと広がったその活動は、真の起業家精神とは何かを私たちに教えてくれます。そして50年以上経った今も、創業者たちの友情とブランドの魂は色褪せることなく輝き続けているのです。

 

エリック・レイノルズが歩んだ終わらない冒険の道

1987年にマーモットのCEOを退任したエリック・レイノルズですが、彼の挑戦はそこで終わりませんでした。むしろ、より大きな冒険の始まりだったと言えるでしょう。レイノルズが手がけた新たな事業の数々は、すべて「問題解決」というテーマで貫かれています。

  • 1993年にバックパッカー向けの浄水器を開発する「Sweetwater」を設立
  • 2003年に環境配慮型アウトドアブランド「Nau」を共同設立
  • 洗練されたデザインと持続可能な素材の両立を追求
  • 製品が環境に与える影響への問題意識を形にした先駆的な取り組み

彼の両親は「何をするかは気にしない。ただ、世界をより良い場所にしていきなさい」と教えたといいます。その教えは、すべての事業の根底に流れる哲学となりました。

 

ルワンダで命を救う活動へと広がった「FOR LIFE」の精神

2008年、レイノルズの挑戦はついにアウトドアの枠を超えます。アフリカのルワンダで、薪や炭による調理が引き起こす深刻な健康被害と森林破壊を目の当たりにした彼は、社会的企業「Inyenyeri」を設立しました。

この事業は、クリーンで高効率な調理用コンロと燃料を供給することで、発展途上国の人々の健康と環境を守ることを目的としています。クライマーの生命を守ることから始まった彼の使命は、バックパッカーの健康を守り、そして最終的には地球環境と発展途上国の人々の生命を守るという、より普遍的な問題解決へと発展したのです。

これこそが、「FOR LIFE」という理念が単なるスローガンではなく、生き方そのものであることの証明。マーモットの精神は、創業者と共に世界へと広がり続けています。

 

50年経っても色褪せない3人の友情とブランドの魂

マーモットを創業したエリック・レイノルズ、デイブ・ハントリー、トム・ボイスの3人は、それぞれ異なる道を歩みました。ハントリーは1979年に株式を売却後もヘッドデザイナーとして貢献し、その後イェール大学で経営学修士を取得。故郷シアトルで通信ネットワーク事業「SmallNetworks」を25年以上運営しています。

注目すべきは、50年以上経った今でも彼らの友情が続いていること。レイノルズとハントリーは互いの功績を称賛し合い、「友情こそが最も意味のある成果」と語ります。現在のマーモットは年間売上2億ドル、世界約100店舗を展開するグローバル企業へと成長。しかし、その根底には創業時の「はみ出し者の山の変人たち」の精神が今も息づいているのです。

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【まとめ】マーモット(Marmot)が歩んできた歴史

1971年、アラスカの氷河で出会った「はみ出し者の山の変人たち」から始まったマーモットの物語。学生寮の一室で手作りされた寝袋は、やがて世界初のGORE-TEX採用製品へと進化し、今では年間売上2億ドルのグローバルブランドへと成長しました。

「FOR LIFE」という揺るぎない哲学のもと、商業用冷凍庫での7日間テストや、分子レベルでの技術革新など、品質への執念は50年経った今も変わりません。創業者エリック・レイノルズが示した「世界をより良い場所にする」という生き方は、アウトドアの枠を超えて、ルワンダでの社会的企業へと広がりました。

マーモットが特別なのは、単に高性能な製品を作るからではありません。それは、山を愛する純粋な情熱と、仲間を大切にする温かい心、そして生命を守るという究極の使命感が、すべての製品に込められているからです。これからも、マーモットは登山家たちの信頼できるパートナーとして、共に冒険を続けていくことでしょう。